『金融リテラシー入門[基礎編]』より一部抜粋
(本記事は、幸田 博人氏、川北 英隆氏の編著書『金融リテラシー入門[基礎編] 』=きんざい、2021年1月13日刊=の第2章(金融広報中央委員会事務局次長(日本銀行参事役)※執筆時 加藤健吾著)の中から一部を抜粋・編集しています)
いまこそ重要な「金融リテラシー」
金融広報中央委員会は、中立・公正な立場から、幅広い世代の国民のみなさんを対象に、金融リテラシーの向上のため日々活動している。
本章においては、プラクティカルな話、金融や資産形成に関する実学的な知識について説明していきたい。人生で必要な金融の知識は、実は大学で学んでいるマクロやミクロの経済学とも裏腹の関係になっており、その辺りも感じ取ってもらえればと思う。
本章における説明の重点は3 点あり、まず、稼ぐとは何かという点、次に資産形成はどうするのかという点、最後に海外比較である。
⑴潜在成長率の低下と「金融リテラシー」
日本の潜在成長率は長期的にみて低下傾向にある。日本銀行では潜在成長率を「生産関数型アプローチ」と呼ばれる方法で推計しており、これはざっくりいうと、労働人口や会社の資本ストック(保有する設備など)、技術要素を使ったとき、実質GDPが前年比でどの程度成長する潜在的な実力があったかを推計する手法である。
これによれば、たとえば1980年代の日本人は、自然体で実質GDPが+ 3 ~ 4 %程度は成長する経済のなかで暮らしていた。
その時代に比べると、現在は+ 1 %程度が自然体という、やや寂しい結果になっている。ただ、実はこれは日本だけの動きではない(図表2 - 1 参照)。欧州(ドイツ)は日本とかなり似た動きをしており、米国も2000年のITバブル以降は同様の傾向になってきた。
基本的にこの傾向は継続しているはずで、先進国はいずれも潜在成長力の低下に悩んでいる。潜在成長率が下がれば自然利子率(景気に中立的な実質金利水準)は下がる。すなわち、その国における長期的な期待リターンが下がることも意味する。
冒頭、このグラフを示しているのは、先進国では全体的に期待リターンが低下傾向にあることに対し、危機感をもってもらうことが大事であるからだ。
では、なぜ先進国の成長率が低下傾向にあるのか。いくつか仮説はあるが、少子高齢化の進行やグローバリズムが影響しているといわれている。
また、世の中が社会も経済も非常に複雑になってきている一方で、先進国では車やエアコン、冷蔵庫や洗濯機といった便利な財が一通りいきわたってしまっており、新たに爆発的に売れるものがなかなか少なくなってしまっている、といったことも背景にはあるだろう。
⑵グローバルな構造変化と日本経済
こうした時代を乗り切るためには、経済政策や人口減少対策など社会全体の努力に加えて、一人ひとりの努力も必要となる。
自分の夢を大切にするために、経済的に困らないように、個人レベルでできることとは、「長い目線で考え、できるだけ合理的に判断すること」である。
特に、お金の収支を、先行きまで含めて考えることが大切である。これはある意味当たり前のことだが、できている人は意外と少ない。
これまでご両親から、「いい大学」や「いい就職先」を目指すよういわれたことはあっても、「お金」について教わる機会がなかった人は多いのではないか。では、なぜ大学生の時からお金について考えなくてはいけないのだろうか。
大学生のみなさんの世代とその親の世代とでは、経済環境がかなり異なる。先ほど述べたような潜在成長率の推移がまずあるし、さらに踏み込んでいえば、経済のグローバル化が大きく進展し、世界と日本の立ち位置がかなり変わってきた。
たとえば、1970年代から1980年代には日本の家電メーカーは世界中のカラーテレビ市場を席巻していた。現在でも、みなさんの家にあるテレビは国内メーカー製かもしれない。
しかし、残念ながらその心臓部のパネルは台湾や韓国、中国製である可能性が高い。これは世界的な分業が進んだという点で、経済学的な観点では全世界的な生産効率性が高まっているといえる。しかし、日本人の所得という意味では、流出したことになる。
日本の財政事情の変化や少子高齢化の進展も、違いをもたらしている。そして、AI(Artificial Intelligence:人工知能)やIoT(Internet of Things:モノのインターネット化)による「第四次産業革命」がいままさに進行中であることが、両世代の違いをさらに拡大させている。
IoTとは、あらゆるものがインターネットでつながるということであり、代表的な例として、米国のコングロマリット企業であるゼネラル・エレクトリック(GE)社のジェットエンジンで説明する。
GE製のジェットエンジンは、世界中の旅客機で使われているが、センサーと通信チップが組み込まれており、着陸時に空港のターミナル経由で本社にエンジンのデータを送る仕組みになっているそうだ。
GEへのインタビュー記事によれば、GE本社では、販売したエンジンごとに、どの部品がいつ頃どのように壊れそうかという仮想モデルによるAI的な予測が成り立っているという。
このシステムの運用前は、定期的に部品を一律交換せざるをえなかった。ところが、いまは、実際の使用程度に応じた予測に基づき、個別部品を故障直前に交換できる。GEはメカニック体制などを効率化でき、航空会社は必要な時の必要な部品交換ですむので保守コストが効率化する。
航空機の稼働率も引き上げられる可能性があり、全体として収益性が上がる。こうした恩恵は最終的に航空運賃の抑制というかたちで利用者であるみなさんも受けている。GEは、従来はエンジンを売り切り、その後、保守のつどに保守料金をもらっていたのだが、ある意味携帯電話の利用料金やサブスクリプションとも似たようなモデルを生み出した。それが結果的に、メーカー、航空会社、利用者の全員に恩恵をもたらしている。
これは単なる一例だが、これからの時代、AIやIoTサービスを活用したビジネスモデルがあらゆるもの、もっと身近なものにも適用されていくだろう。
第四次産業革命(あるいはSociety5.0とも呼ばれる)の流れのなかで、個人レベルではこうした変化に「対応できる者」と「対応できない者」の格差が拡大していく。
先を見通せば、いまから「機械やAIではなく、人間であればこそ生み出せるもの」という点に重点を置いて能力を拡張していく必要があり、それは「どうやって稼いでいくか」という、「人生とお金」の検討ともつながってくる。このためには人生、お金、そして経済のつながりに関する「金融リテラシー」についても最低限の知識が必要ということになる。
ここで、金融リテラシーが高いことのメリットについて、いくつかデータを紹介する。まず、金融リテラシーが高い人は金融トラブルに遭いにくいというデータを、図表2 - 2 で示してある。
これは、私たち金融広報中央委員会が行った「金融リテラシー調査(2019年)」で、都道府県ごとに金融リテラシーの正答率の高さと、金融トラブル経験者の割合をプロット化したものである。
その結果、逆相関の関係、つまり金融リテラシーが高いとトラブルに遭いにくいことが推計された。また、同じ調査で、金融資産の保有金額別に金融リテラシーの正答率をプロットしたところ、今度は正の相関関係が出た。
つまり、お金持ちほど金融リテラシーが高いということだ。リテラシーが高いからお金持ちなのか、お金持ちだから自分で勉強してリテラシーが高くなるのかという因果関係までは特定できないし、おそらく因果関係は両方向にあるのだと思うが、確実にいえるのは「お金持ちになりたいなら金融リテラシーが高くないと不利である」ということだろう。
また、これも同じ調査からだが、金融教育を「受けた」と認識している学生は、正答率が高く、また、学校での金融教育を必要と認識している割合も高い。
⑶生涯収入と支出
先ほど、こうした時代を乗り切るためには、先行きを含めてお金の収支を考えることが大切だと述べたが、生涯収支を、図表2 - 3 で詳しくみてみたい。
総務省の家計調査(2016年)から、勤労者家計の平均的な「一生涯の収入と支出」がわかる。左の縦棒が平均収入、右の縦棒が平均支出である。グラフをみると、20~55歳は平均収入が平均支出を上回っているので、平均的には黒字だ。
ところが、60歳でトントンになり、65歳のところで平均支出が平均収入を逆転する。60歳以降の収入は、基本的に公的年金が中心になり、家計が赤字になってしまう。つまり、平均並みの生活をしたいということであれば、65歳までにある程度の資産をもっていなくてはいけない。
今度は一生涯を合算した総額ベースで考えよう。生涯年収平均は約2.7億円で、生涯支出平均は約2.4億円である。90歳まで生きても3,000万円余るということなので、楽勝にみえる。
しかし、世の中はそんなに甘くない。これは全体の平均なので、年収50万円の人も2,000万円や1 億円の人も含んだ「平均値」(単純にデータの合計値をデータ数で割った値)である。
正規分布の場合は、基本的に平均値と中央値(データを小さい順に並べたときに中央に位置する値)は一致するが、実際のわれわれのみている世界、経済では正規分布になる事例はめったに出てこない。
図表2 - 4 ⑴のグラフにあるような偏った分布のほうが主流で、収入はまさに典型的な例である。この場合、年収の平均は417万円。だが中央値は327万円。先ほど収支計算して3,000万円余ったのは、 平均値417万円ベースの話だ。一方、図表2 - 4 ⑵のグラフでは、支出は、平均値と中央値にそれほど差がない。では、生涯の収入と支出を、中央値ベースで計算してみるとどうなるか。
平均値から中央値を差し引くと、収支の減少は年間マイナス73万円になる。現役期間を45年と仮定し、73万円の差がずっと続いたとした場合、生涯収支は平均値から3,285万円減少する。中央値の人、つまり「普通の人」は、プラス3,000万円どころか、生涯収支が大体トントンになるのが実態なのである。
⑷65歳までに資産形成で目指す金額
人生トントンとしても、老後に赤字になりやすい以上、現役の時から収支をうまくコントロールして資産をつくることが大切である。もう少し踏み込んでみると、人生の「3 大費用」は調査結果から推計されていて、まず、「子育て・教育」は約800万~2,200万円、「住宅」では約3,300万~約4,300万円もかかる。
では、3つ目の「老後」の費用はどの程度であり、またその費用をまかなうために65歳までに(あくまで「平均値」としてではあるが)どのくらいの資産を形成しておいたほうが安心できるのだろうか。
夫婦2 人の家計モデルを図表2 - 5 に示した。支出は平均月27万円なので、65~90歳の25年間で約8,000万円のお金を確保しておく必要がある。
一方、現状の公的年金は、夫婦モデルで月22万円出るので、25年間で約6,600万円もらえることになる。
両者の差額となる約1,400万円程度は、65歳までに資産形成をしておいたほうが安心といえそうだ。ただし、日本の公的年金については、財政的に厳しい面があるため、制度は維持されても、給付額は見直される可能性があり、今後の世代はもう少し多めにもっておいたほうがいいかもしれない。
今後、40年、50年にわたる日本の経済成長、物価水準、運用利回りなどがわからない以上、正確な金額は誰にも計算できないが、私の個人的な感触としては、みなさんの世代は、2,000万~3,000万円程度の資産形成をまずは目指しておいたほうが安心ではないかと考える。
ところで、2019年6 月には、いわゆる「2,000万円問題」が世間で話題となった。これは、政府のある報告書が、収入を年金のみに頼る無職世帯のモデルケースでは、老後に2,000万円の資金が必要になると指摘した件である。
気をつけるべきは、こうした試算も、先ほど示した試算も、あくまで「平均値」モデルであること。個々人の収支は実際には非常に多様であり、一律にある金額が「必要」ということにはならない。たとえば現役時の資産形成が少なくて、収入が年金しかないという人は、支出面で日々工夫して、収支をできるだけバランスさせるよう、努力しておられるのが普通であり、実際、そうすることで日々の生活は成り立っている。ただ、老後もできるだけ豊かな生活がしたいと考えるのは人情である。これから長く「稼ぐ」期間のある世代の方であれば、将来の「安心」のためにいまから努力する価値は十分あるだろう。
<編著者プロフィール>
幸田 博人(こうだ ひろと)
京都大学経営管理大学院特別教授・大学院経済学研究科特任教授 一橋大学経済学部卒。日本興業銀行入行、みずほ証券執行役員、常務執行役員、 代表取締役副社長等を歴任。
現在(2018年 7 月~)、株式会社イノベーション・インテリジェンス研究所代表 取締役社長、リーディング・スキル・テスト株式会社代表取締役社長、株式会 社産業革新投資機構(JIC)社外取締役、一橋大学大学院経営管理研究科客員教 授、SBI大学院大学経営管理研究科教授など。 著書に、『日本企業変革のためのコーポレートファイナンス講義』(編著、金融 財政事情研究会、2020年)、『プライベート・エクイティ投資の実践』(編著、中 央経済社、2020年)、『日本経済再生25年の計』(編著、日本経済新聞出版社、 2017年)、『金融が解る 世界の歴史』(共著、金融財政事情研究会、2020年)ほか。
川北 英隆(かわきた ひでたか)
京都大学名誉教授・同経営管理大学院特任教授 京都大学経済学部卒業、博士(経済学)。日本生命保険相互会社(資金証券部 長、取締役財務企画部長等)、中央大学国際会計研究科特任教授、同志社大学政 策学部教授、京都大学大学院経営管理研究部教授等を経て、現在に至る。 著書に、『株式・債券市場の実証的分析』(中央経済社、2008年)、『「市場」では なく「企業」を買う株式投資』(編著、金融財政事情研究会、2013年)ほか。