『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学』より一部抜粋
(本記事は、エンリコ・モレッティ(Enrico Moretti)氏の著書『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学』=プレジデント社、2014年4月23日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
魅力的な都市の条件――厚みのある労働市場
ミッケル・スヴェーンは2007年、二人の仲間とともに、ゼンデスクというハイテク企業をデンマークのコペンハーゲンに設立した。しかし、コペンハーゲンがハイテク産業の中心から離れすぎていると気づくまでに、時間はかからなかった。2年後、スヴェーンは会社の本拠をアメリカに移した。
「(資金と)有能なスタッフを求めて」の決断だったという[1]。最初はボストンに拠点を置いたが、最終的にサンフランシスコに落ち着いた。「とても刺激的な町だ。サンフランシスコに来て、この土地の人々と一緒に仕事をし、多くの人から助言を得ることで、思考のスケールが大きくなり、これまでよりも野心的にものを考えられるようになった。おかげで、さらなる高みを追求できるようになった」と、スヴェーンは当時記者会見で語っている。
24歳のプログラマー、キール・オルソンは、2010年、ネブラスカ州リンカーンからサンフランシスコにやって来た。ハイテク関連の職に就くためだ。「iPhoneアプリの開発をしたいと思っていた。サンフランシスコには、そのための人材を求めている企業がたくさんある」と、オルソンは言う[2]。
この二人のケースは、典型的なパターンだ。サンフランシスコに拠点を置いている企業の経営者たちに、もっとコストが安い都市がたくさんあるなかでどうしてサンフランシスコを選んだのかと尋ねれば、ここに優秀な人材が集まっているからだと答えるだろう。ソフトウェアエンジニアたちに、どうしてサンフランシスコにやって来たのかと尋ねれば、ここに働き口がふんだんにあるからだと答えるだろう。
当たり前の話だと思うかもしれないが、話はそう単純でない。確かに、ソフトウェアエンジニアにとって、サンフランシスコはリンカーンより求人が多い。しかし、競い合わなくてはならないライバルの数も多い。同じことは、企業側にも言える。サンフランシスコはコペンハーゲンに比べて、就職先を探しているソフトウェアエンジニアの数が多い半面、そういう人材を雇おうとする企業の数も多い。
ソフトウェアエンジニアがサンフランシスコを働き手の売り手市場だと思い、企業側が雇用主の買い手市場だと思っているというのは、奇妙な話だ。両方の認識が正しいということは、理屈の上でありえない。
実は、ほとんどの都市では、個々の職種の働き手に対する需要と供給はおおむねバランスが取れている。
もし、特定の時点の特定の都市でソフトウェアエンジニアの供給が不足していれば、すぐに全米からソフトウェアエンジニアがその都市に押しかけ、労働市場の需給が均衡する。ソフトウェアエンジニアはたいてい、若く、教育レベルが高く、外国生まれの場合も多い。
若年層、高学歴層、外国出身者という三つの層は、いずれも居住地を移すことへの抵抗感が少ない層だ。1990年代後半のドットコム・バブルの時期、シリコンバレーに何百もの資金力豊富な新興企業が出現し、活発に人材採用をおこなうと、全米から何十万人ものハイテク労働者がこの町にやって来た。やがてバブルが弾けて労働力需要が大幅に減ると、何十万人もの人が町を去っていった。
サンフランシスコでもリンカーンでもコペンハーゲンでも労働市場の需給バランスが取れているとすれば――つまり、サンフランシスコが特段に売り手市場だったり買い手市場だったりしないのであれば――どうしてミッケル・スヴェーンやキール・オルソンはわざわざサンフランシスコをめざしたのか? その理由は、この町のソフトウェアエンジニアの労働市場に厚みがあるという点にある。労働市場の厚みは、都市の経済的運命を大きく左右する要素なのだ。
こと労働市場に関しては、「大きいことはいいこと」だ。経済学でよく言われるように、売り手と買い手の数が多い市場では、売り手と買い手の双方が相手を見つけやすい。この点を理解するために、いったん労働市場を離れて、恋愛について考えてみよう。いまあなたが独身で、交際相手を探しているとしよう。
地元のバーで相手を見つけようとしたが思うようにいかず、あなたはオンライン上の交際相手探しサイトを利用しようと考える。地元の独身者向けのサイトは二つある。両者のサービス内容はまったく同じだが、会員数だけが違う。一方は、男性100人と女性100人が登録している。もう一方は、男性10人と女性10人が登録している。
あなたは、どちらのサイトを選ぶだろう? どちらも男女の比率は同じだ。ということはどっちも同じ? もちろん、そんなことはない。交際相手を探している女性が望みどおりの男性に出会える確率は、登録人数の多いサイトのほうが高い。より多くの男性のなかから、外見や趣味、思想信条などで自分の理想に近い人を探せるからだ。同じことは、男性側にも言える。
労働市場は、交際相手探しサイトと似ている。規模が大きいほど、双方が相手を見つけやすく、理想に近い相手と巡り合える確率が高い。たとえばあなたが特定の遺伝子組み換え技術を専門とする分子生物学者で、そのテクノロジーを必要としているバイオテクノロジー企業を探しているとする。
多くのバイオテクノロジー企業が集まっているボストンやサンディエゴのような都市に行けば、あなたの専門技術を必要とし、それに金を払おうという企業が見つかる確率がほかの都市より高いだろう。
ポートランドやシカゴのようにバイオテクノロジー企業が少ない都市では、自分の専門技能にぴったりとは言えない就職先でよしとせざるをえず、結果としてボストンやサンディエゴより安い給料で妥協する羽目になるかもしれない。どの都市で就職するかという選択によって、キャリアの道筋が大きく変わってくるのだ。
理想的な相手を見つけやすいことは、雇用主である企業にとっても大きな利点だ。新興バイオテクノロジー企業は、ボストンやサンディエゴに拠点を置けば、自社のニーズにぴったり合った分子生物学者を雇える確率が高まるので、生産性が向上し、特許の取得件数も多くなる。
その結果、利益も増え、IPO(新規株式公開)が成功する可能性も大きくなる。事実、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のアカウントの本人性を判定するテクノロジーを開発している新興企業トゥルリオのスティーブン・アフォードCEOは、本社をカナダのバンクーバーからシリコンバレーに移したところ、生産性が飛躍的に向上したことに気づいた。「大きかったのは、(シリコンバレーの)ものごとのスピードが速いこと」だと、アフォードは述べている[3]。
バンクーバー時代だったら何年も要したことをわずか三カ月で達成できたという。労働市場に厚みがあることは、働き手と企業の双方にメリットがあるのだ。
厚みのある労働市場に身を置くことが働き手の収入に及ぼす好影響は、専門職の場合とくに大きく、その効果は過去30年間を通して拡大してきた。
今日のアメリカでは、働き手の数が100万人以上の土地で働いている人の平均賃金は、25万人未満の土地の約1.3倍以上だ(この点は、働き手の就業年数、職種、その土地の人口構成の影響を取り除いても変わらない)。
この格差は、1970年代に比べて50%も拡大している。労働市場の大きさがとくに重要な意味をもつのは、ハイテク関連のエンジニア、科学者、数学者、デザイナー、医師など、高度な専門技能が必要とされる職種だ。たとえば、小さな都市より大きな都市で働く医師のほうが、狭い専門分野に特化して仕事をしているケースが多い[4]。
一方、高い技能をもたない労働者は、労働市場の規模の影響をあまり受けない。肉体労働者や大工は、大都市でも小都市でもだいたい同じような仕事をしている。
ここで、フェイスブックの歴史を見てみよう[5]。映画『ソーシャル・ネットワーク』を見た人は知っているように、マーク・ザッカーバーグはハーバード大学の学生寮でフェイスブックを立ち上げた。ハーバード大学のあるマサチューセッツ州ケンブリッジは、一流大学が集中していることでは世界随一の町だ。
教育水準もアメリカ屈指と言っていい。活発にイノベーションをおこなっている企業も多数あり、人材は十分にいたはずだ。しかしザッカーバーグはほどなく、必要な人材を確保したければシリコンバレーに移転すべきだと気づいた。
実際、シリコンバレーのエンジニアの労働市場は非常に厚みがあり、単に教育レベルが高い人物や、単にエンジニアとしての技能が高い人物ではなく、教育レベルと専門技能がともに高くて、フェイスブックで必要としているスキルを備えた人材を見つけられた。
こうした点を考えると、ザッカーバーグがシリコンバレーを選んだこと、そしてハイテク企業全般がほかのハイテク企業の多い都市に拠点を置こうとすることは、合理的な判断と言える。これらの企業は、ほかのハイテク企業が周囲にほとんどない環境で孤立していれば、好業績をあげるのが難しいかもしれないが、互いに寄り集まることによって創造性と生産性を高めているのだ。
労働市場の規模は、人がどれくらい頻繁に転職するかにも影響を及ぼす[6]。1万2000人を20年にわたって追跡調査した研究によると、まだ働きはじめたばかりで、自分に最適な仕事を模索している若い時期には、規模が大きく、多様な職種がある町の住人のほうが、規模が小さく、職種の選択肢が少ない町の住人より頻繁に転職する。しかし年齢を重ねると、安定を重んじる人が増えてくる。
そういう段階になると、大きな町に住む人はむしろ転職の頻度が少なくなる。小さな町に住む人に比べて、満足できる職場を見つけられているケースが多いからだ。
労働市場の規模が大きいことは、失業した場合の「保険」になる面もある。景気全般の悪化が原因ではなく、個別企業の問題が原因で解雇された場合、労働市場の規模が大きい町にいる人は、失業状態が長引かずにすむ確率が高い。
新たな就職先候補がたくさんあるからだ。また、そういう町では、企業もすぐに空きポストを埋めることができる。
労働市場の規模は、都市の未来にきわめて大きな影響を及ぼす。厚みのある労働市場がもたらすメリットこそ、イノベーション産業の企業が世界のごく少数の都市に集中している最大の要因だからだ。
そうしたイノベーションハブには、ますます多くのハイテク企業とハイテク労働者が集まってくるが、いまイノベーションハブを形成できていない都市は、今後もそうした集積地を生み出すのが難しい。その結果、頭脳集積地とそれ以外の土地の格差がますます広がっていく。
ある都市が厚みのある労働市場を擁していると、いくつかの思いがけない効果がある。たとえば、集積地に加わる企業や個人は、みずからが生産性向上による恩恵に浴するだけでなく、その集積地を構成しているほかの企業や個人すべてにも好影響を及ぼす。
新しい企業や個人が加わることにより、既存のすべての企業や個人の生産性も高まるからだ。しかし、こうした「外部性」は、市場の失敗を生みかねない。そこで政府が介入して、集積地全体に恩恵をもたらす企業や個人を助成することで、外部性の問題を緩和できれば、集積地全体の生産性を高められるだろう。
労働市場の規模は、働き手の生産性だけでなく、恋愛の相手を見つける機会にも影響を及ぼす。ベビーブーム世代は小さな都市に魅力を感じる人が多いが、若い世代はそういう町をあまり魅力的とは思わない。
X世代(1965〜79年ごろの生まれ)やY世代(1980年〜95年ごろの生まれ)には、大都市に住む人が増えている。文化的規範の変化や、厚みのある労働市場に身を置くことの経済的メリットもその一因だが、そこには結婚相手探しに関する思惑もはたらいている。アメリカの結婚市場は、教育レベルごとに分断される傾向が次第に強まっている。
教育レベルの高い専門職は、自分と同じように教育レベルの高い専門職と結婚するケースが多くなっているのだ。このように自分と社会的・経済的属性が似た相手と結婚することを、経済学者は「同類婚」と呼んでいる。同類婚は、最近の新しい現象ではない。1980年代の時点ですでに、高学歴の女性は、学歴の低い男性より学歴の高い男性と結婚するケースが多かった。
しかし、ここ30年でその傾向に拍車がかかってきた。修士号取得者同士の男性と女性が結婚し、学士号取得者同士の男性と女性が結婚するという具合に、学歴が同等の男女が結婚する割合が際立って上昇しているのだ。同類婚の増加は、教育レベルの側面に限ったことではない。
職種や所得など、ほかのさまざまな側面でも、自分と似た人と結婚する人が増えている。同類婚を望む人が増えれば、それだけ規模の大きな結婚市場が必要になる。結婚相手に望む属性が細かく絞り込まれている人は、ある程度多くの候補者がいる環境でないと、望みどおりの相手を見つけづらいからだ。
厚みのある労働市場を擁する都市に住むことのメリットは、既婚カップルにとっても高まっている。夫婦の両方が専門職のカップルにとってはとりわけ、そういう都市に身を置くことの利点が大きい。その種のいわゆる「パワーカップル」はまだ少数派だが、数は増えつつある。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のドラ・コスタとマシュー・カーンの最近の研究によると、1940年当時、夫婦ともに大学卒のカップルのうちで妻が職に就いている割合は、18%にとどまっていた[7]。
1970年にはこの割合が39%まで上昇したが、仕事をもっていた女性の大半は大学で教育や看護を専攻し、教師や看護師など伝統的に「女性の仕事」とされてきた職に就いていた。この時代の女性たちは、あくまでも「家庭が主で仕事は従」。
たいてい、第一子を出産すると仕事を辞めていた。1990年代に入ると、大卒男性と結婚している大卒女性たちはキャリアの選択で男性同様の行動を取り、「仕事が主で、家庭が従」、もしくは「仕事と家庭の両立」を望みはじめた。そして2010年には、既婚の大卒女性の74%が職に就くようになった。女性たちが就く仕事は、ほぼあらゆる職種に及んでいる。
夫婦がともにキャリアを追求するようになると、居住地の問題に直面するカップルが増えはじめた。夫の転職や転勤のために自分のキャリアを断念することを、妻たちが嫌がるようになったからだ。いまや約半数の企業は、従業員が転勤を拒否する最大の理由として配偶者の雇用問題を挙げている。その点、都市の労働市場の規模が大きければ、夫婦双方が希望どおりの職を見つけられる確率が高く、いくらかは転勤に応じやすくなるだろう。
このことは、都市の未来にとって重要な意味をもつ。コスタとカーンの研究によれば、教育レベルの高い専門職のなかに大都市に住む人が増えており、その半分以上は、居住地問題を解決するために都会暮らしを選んだパワーカップルだ。小さな都市にとっては、気がかりな傾向と言わざるをえない。
都市としての競争力を失いつつあることを意味するからだ。教育レベルの高い専門職のカップルからそっぽを向かれることのダメージは大きい。長い目で見ると、教育レベルの高い専門職が移住してこなくなり、イノベーション産業を成長させられなくなって、次第に経済が衰退していく運命が待っている。
[1] Hoge,“ Help Desk Firm Solves Problem of How to Grow.”
[2] Tam, “Technology Companies Look Beyond Region for New Hires.”
[3] Kane, “Overseas Start-Ups Move In.”
[4] Baumgardner,“ Physicians’ Services and the Division of Labor Across Local Markets.”
[5] ザッカーバーグはインタビューで、シリコンバレーの文化で好きになれない点をいくつも挙げているが、「もしあのままボストンに本社を置いていれば、フェイスブックは成功していなかっただろう」と認めている。以下を参照(Interview at Y Combinator’s Startup School,
October 29, 2011)。
[6] Wheeler, “Local Market Scale and the Pattern of Job Changes Among Young Men”; Bleakley and Lin,
“ick-Market Eects and Churning in the Labor Market.”
[7] Costa and Kahn“, Power Couples.”
エンリコ・モレッティ(Enrico Moretti)
経済学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。専門は労働経済学、都市経済学、地域経済学。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)国際成長センター・都市化プログラムディレクター。サンフランシスコ連邦準備銀行客員研究員、全米経済研究所(NBER)リサーチ・アソシエイト、ロンドンの経済政策研究センター(CEPR)及びボンの労働経済学研究所(IZA)リサーチ・フェローを務める。イタリア生まれ。ボッコーニ大学(ミラノ)卒業。カリフォルニア大学バークレー校でPh.D.取得。
『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学』