『60過ぎたらコンパクトに暮らす モノ・コトすべてを大より小に、重より軽に』より一部抜粋
(本記事は、藤野 嘉子氏の著書『60過ぎたらコンパクトに暮らす モノ・コトすべてを大より小に、重より軽に』=講談社、2020年8月28日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
『60過ぎたらコンパクトに暮らす モノ・コトすべてを大より小に、重より軽に』
これまで、何かを選ぶときは機能や品質、ブランドやデザインなどの基準がありました。包丁ならば、使い続けているもの、服ならば、色やデザインが自分の好きなもの、似合うもの、というように。
作り手の姿勢に共感し、応援したくて買うことも増えています。さらに「小さいもの」「軽いもの」という基準も重要になってきました。
できるだけ、簡単で、楽で、疲れないようなものがいいので、大きいものや重いものよりは、小さいもの、軽いものがいいのです。
重いアイロンよりは、軽いアイロンのほうが疲れないですし、いつももち歩く財布も、重くてかさばるものよりは、コンパクトで軽いものがいい。
菜箸や腕時計も現在使っているのは、小さくて軽いもの。まな板も小さなものに、水切りかごもコンパクトになりました。食器は、家族の人数が減り、食べる量も減ってきたので、小さなものを使っています。貴金属のアクセサリーやブランドもののバッグをあまり使わなくなったのは、重くて疲れるという理由が大きいです。もっと軽い素材のものがあればそちらがいい。
「大は小を兼ねる」ということわざは、家族が多いとき、広い家に住んでいるときは、まさにそれを地でいくようなところがありました。
ところが今はそれを逆にして考えると、ちょうどいいくらい。何かを買うときは、本当にその大きさが必要か、もう少し小さいほうが使い勝手がいいのでは、と考えるようになりました。
コンパクトな暮らしでは、部屋の広さやものの量だけでなく、選んでいるもの自体も小さく軽くなっています。
小さく暮らすようになっても、新たに欲しいと思うものは出てきます。
ひとつは、アサヒのウォーキングシューズ。膝に優しいシューズで、歩き方も自然と矯正してくれると評判です。しっかりと縫製したアッパーと靴底を熱と圧を加えて貼り付けるから安定感があるのでしょう。シューズとしても、ものづくりの姿勢にも興味をもっていますが、必需品というほどでもないし、ビルケンシュトックの靴もいいなと思い始めていて、なんとなく決めかねています。
買うことに慎重になってくると、ハードルがどんどん上がってきます。どんなものなら本当に必要と言えるのか、どのタイミングなら買い換えてもいいのか。ひとつ買ったらひとつ捨てる、くらいの心がまえでと言いますが、なかなかそうスムーズにいきません。
以前は、使う用途が違うから、色違いでもつのも面白い、新しいものも試してみよう、と今よりは簡単にものを買っていました。買う理由がたくさんあったのです。買うこと自体がストレスの発散になることもありました。
今は、慎重にしようと思うあまり、買い換えのタイミングが難しくなっています。
まだ我慢すれば使える、というギリギリのラインがどこなのか。次に買うものもあまりにいろいろなものを見すぎると、何がいいのかがわからなくなります。
ずっと使っていたリュックサックも、ずいぶんとくたびれてきたので、そろそろ買い換えようと探していたのですが、なかなか気に入るものが見つかりませんでした。
ようやく見つけて夫に相談したところ、「今使っているのと変わらないね」と言われて、なんとなく買いたい気分が消えてしまい、もういいか、といったんそのことから離れました。買うことには、勢いも必要なのです。
そんな私の様子を見ていた娘が、ある日「安くていいのがあったよ」とリュックサックをプレゼントしてくれました。外側にポケットがついていて、キャベツなど大きなものも入るから買い物にも使えて、とても便利で気に入っています。私が見ていたものとはまったく別のリュックですが、これはこれですごくいい。これまで使っていたリュックには「ありがとう」と言って処分しました。娘のおかげでいい出会いと別れができて、感謝です。
相変わらず失敗することもあります。着古してボロボロになっていたフリースを「もういいわね」とその場でヒョイッと捨てたのです。前からそろそろ処分しようと思っていましたから、その判断には問題がないのですが、前に胸につけていたブローチを外してポケットに入れていたことを忘れていました。
気がついたのは、少ししてブローチを探していたときです。突然の別れでした(笑)。
おっちょこちょいな性分は、なかなか変えられませんね。
今もたまに失敗したり、周りの親切に助けられたりしながら、私なりのペースで買ったり捨てたりしています。
一度思い切って「本当に必要なものしか買わない」と決めたことがありました。
日本の恵まれた環境に慣れて、ついものを必要以上に買ってしまうような習慣をあらため、本当に必要なものだけを買うということに、トライしてみたかったからです。
買うのは食料品や洗剤、ティッシュペーパーくらい。化粧品や文房具はそれほどすぐには減りませんから、消耗品を補充するだけになりました。
だけど、それではなんだかつまらない。やはり何かを買うことで得られる楽しみもあります。気に入ったものを手にするのはうれしいですから。そこでもう少し枠を広げることにしました。
私が暮らしに望んでいるのは、「心ゆたかに生きること」です。日々の生活を楽しんで、生きがいのある暮らしをすること。ものを減らしても、ものを買わなくても、それがゆたかさにつながらないのであれば、意味がありません。
節約しよう、ムダを減らそうと思うあまり、ものにとらわれてしまうこともあります。行きすぎると、絶えずこれは必要かどうかと、まるで裁判にかけるように考えてしまうのです。そこからは、何も生まれません。幸せな気持ちから遠ざかってしまうような気がするのです。
ものを増やすも減らすもその人次第。ものとどんな付き合い方をするのか。たくさんのものとどんどん出会ってエネルギーを受け取る人もいれば、本当に気に入ったものと深く長く付き合うことが上手な人、必要なものがよくわかっていて、少ないものでゆたかに暮らす人もいます。
暮らしを小さく慎ましくしても、惨めにならないようにするには、どうすればいいのか。心がゆたかになるものとの付き合い方を、これからも考えていきたいと思っています。
藤野嘉子(ふじの・よしこ)
学習院女子高等科卒業後、料理家に師事。フリーとなり雑誌、テレビ(NHK「きょうの料理」)、講習会などで料理の指導をする。「誰でも簡単に、家庭で手軽に作れる料理」「自然体で心和む料理」を数多く紹介し、その温かな人柄にファンも多い。
著書に『女の子の好きなお弁当』(文化出版局)、『料理の基本 おいしい和食』(永岡書店)、『一汁一菜でいい!楽シニアごはん』『がんばらなくていい!楽シニアの作りおき』『生き方がラクになる60歳からは「小さくする」暮らし』(以上、講談社)など多数。
夫はフレンチレストラン「カストール&ラボラトリー」のシェフ、藤野賢治氏。