『教養としての金融危機』より一部抜粋
(本記事は、宮崎 成人氏の著書『教養としての金融危機』=講談社 、2022年1月19日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
国際金融は国境を越える資金の流れのシステムです。身体の血行が悪くなって、ある時点で血栓ができて血流が止まると大事に至るように、国際的な資金の流れが滞ったり逆流したりすると、危機の可能性が高まります。
本書で扱うような大規模な国際金融危機は、危機の主因から、経常収支危機、通貨危機、債務危機、金融危機等いくつかのパターンに分類できます。それらに一貫するのは、国際的な資金の流れが変調することです。これまで「所与」としていた資金の流れが大きく変化し、政府・企業・家計・金融機関等の行動の前提が変わってしまうと、その変化に順応する過程で危機となる場合があるのです。
そこで、国際金融危機を考えるには、まず、資金の流れを観察する必要があります。もし変調が見つかった場合、その原因を特定すれば、危機を予防できるかもしれません。あいにく危機となった場合には、資金の流れをどの程度回復させるべきか、という判断の材料を提供するでしょう。こうした観察のためのツールが国際収支統計です。
政府でも、企業でも、家計でも、日々資金が出入りしています。黒字と言えば「入ってくるお金が出ていくお金より多い」ことを示します。赤字は、その反対です。国際収支統計は、政府から、企業、個々人まで、日本という国家の領域内に基盤を置くすべての経済主体が、海外と取引する資金の出入りの集計です。つまり、国際収支の黒字・赤字は、日本に入ってくる資金と出て行く資金の大小関係を見ているわけです。
国境を越えて発生する資金の流れにはどのようなものがあるでしょうか?
まず、貿易に伴う売買代金の決済や、投資家による外国株式の購入等が思いつきます。さらには、留学中の子供への送金、海外旅行先でのホテル代の支払い等、個人レベルの場面もあれば、低所得国への開発援助供与等の国家レベルの案件もあるでしょう。
国際収支統計は、毎日、様々な理由で様々な主体が行う無数の資金移動を集計し、国際的に統一された基準でその全体像を示している定点観測です。ひとつひとつの資金移動が集まり、環境の変化に応じてその全体像を変化させていきます。長期間かけて動くトレンドや、急な変化等をキャッチできるのが、定点観測のいいところです。
例えば、東日本大震災の後に貿易収支が赤字になったと報じられました。そのままでは単なる事実ですが、なぜ赤字になったのかを調べていくと、原子力発電所が操業を停止したため急遽(きゅうきょ)原油・天然ガス・石炭など火力発電のための輸入が増えたことが要因の一つであると分かります。同様に、新型コロナのため海外への出稼ぎが難しくなったので労働者送金が激減した国があるとか、政治的混乱の生じた国から急速に資金が流出している、といった世界中の状況を国際収支統計によってビビッドに裏付けることができます。
食料品の価格が高くなった、株式市場が下落している、インバウンド観光客が増えている、難民のニュースをよく耳にする、等々、我々の日常を取り巻く出来事の多くは、世界中のどこかで、国境を越えた資金の移動の原因あるいは結果として国際収支統計に反映されています。少し大げさですが、国際収支統計を見れば世界が分かると言っても良いでしょう。
では、具体的に国際収支が何を教えてくれるのか見ていきましょう。
国際収支は、国境を越えて移動する資金の種類によって、別々に計算されていますが、その二本柱は経常収支と金融収支です。この両者は、コインの裏表のような関係にあります。概念的には、経常収支が黒字の国は、その黒字相当額を海外に貸し出すので金融収支が赤字(マイナス)になるし、経常収支が赤字の国は資金不足を賄う額を海外から借りてくるので金融収支が黒字(プラス)になる、ということです。
経常収支は、資金移動の原因によって四つに細分化されます。
(1)貿易収支
最も直感的に理解できるのが貿易収支でしょう。貿易収支はモノ(財)の売買に伴う資金の流れを見る統計です。例えば日本が原油を輸入して自動車を輸出する場合、輸入代金をサウジアラビアに支払い、輸出代金をアメリカから受け取る、といった具合です。
(2)サービス収支
モノではなくサービスの取引の場合はサービス収支となります。貨物や旅客の運賃、特許の使用料等のやり取りを集計します。近年話題のインバウンド観光ですが、日本を訪ねた外国人旅行者が日本国内で使ったお金と、日本人旅行者が海外で使ったお金の差を旅行収支と呼び、サービス収支の一部と位置付けられています。
(3)第一次所得収支
これは過去の投資や貸し付けに対する利子や配当金のやり取りです。海外の株式や債券への投資に伴うリターン(収益)ですが、親会社が海外子会社からの利益を配当の形で受け取るのもここに入ります。日本企業の海外進出が進むにつれ、第一次所得収支の受け取りが増えています。
(4)第二次所得収支
これは対価を伴わない資金の流れを示します。典型的には外国に対する無償援助や、海外で働く労働者が母国に送金する場合が当たります。
モノやサービスの輸出と輸入の差が黒字か赤字か、というのは直感的にわかりやすいと思いますが、それに加えて、投資収益や労働者送金の出入り等も総計すると、経常収支になるわけです。仮に貿易収支が黒字でも、他の収支がそれを上回る赤字であれば、経常収支は赤字になります。つまり、経常黒字(赤字)国が必ずしも貿易黒字(赤字)国とは限りません。
経常収支に対して金融収支は、日本企業が海外に工場を建設する直接投資、日本の居住者が海外市場で株式を購入する証券投資や邦銀が海外に行う融資等、投資行動の際の元本の移動を集計します。外貨準備の増減についても金融収支に計上されます。経常収支の過不足が、投資や融資の形で国外に出たり、海外から流入したりするわけです。
国際収支統計には、これら以外に資本移転収支(外国政府に対する債務免除等で、通常は少額)や誤差脱漏(データ上の不突合等の残差)が計上されています。
<著者プロフィール>
宮崎 成人
1962年東京都生まれ。1984年東京大学法学部卒業。1988年英オックスフォード大学にて国際関係論修士号(M.Phil)取得。1984年大蔵省(現・財務省)入省。主計官、国際機構課長、副財務官など歴任。欧州復興開発銀行(EBRD)日本理事室、金融安定化フォーラム(FSF)事務局での勤務を経て、2008~2016年国際通貨基金(IMF)アジア太平洋局及び戦略・政策・審査局審議役、2017~2021年世界銀行駐日特別代表。ロンドン、バーゼル、ワシントンなどで通算17年間海外勤務。2016年より、東京大学大学院(総合文化研究)客員教授。現在、三井住友信託銀行顧問。