『60過ぎたらコンパクトに暮らす モノ・コトすべてを大より小に、重より軽に』より一部抜粋
(本記事は、藤野 嘉子氏の著書『60過ぎたらコンパクトに暮らす モノ・コトすべてを大より小に、重より軽に』=講談社、2020年8月28日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
『60過ぎたらコンパクトに暮らす モノ・コトすべてを大より小に、重より軽に』
男性はもともと女性と比べると仲間付き合いが活発ではない人が多いので、退職後は奥さんにべったり、という例をよく聞きます。わが家はそんなことはありませんが、映画に行ったり、散歩に行ったり2人で過ごす時間が増えてきました。
そんなときに、これまでほとんど病気をしたことがなかった夫が、この1年ほどの間に、手術や入院を経験しました。
ずっとわが家を陣頭指揮してきたのは夫です。
ところが一時的にせよ、働き手は私だけという状況になって、少しずつ任されたり、決断をゆだねられたりすることが増えました。夫も自分だけが家にいるときは洗濯をしたりするようになったりして、夫婦の関係が少しずつ変化しているのを感じます。
夫は昔から、私よりも断然フットワークが軽くて、やるべきことをすぐにできる人です。本当に尊敬するほど。午前中に銀行に行くという日は、朝ごはんを食べたら、サッと支度をする。
そういうところは今も変わらないのですが、何かのときにふと、以前より疲れやすくなっていると感じることがあります。出かけて帰ってきたあと、また何かをするのではなく、横になっていることも増えました。
旅行でも、これまでは自分のアンテナを頼りに、ここに行こう、あそこのレストランがいい、と言っていたのが、子どもたちに意見を求めるようになっています。
だけどそれは年をとったのではなく、年相応になったのです。
60代の自然な姿ですから、私も疲れたときは同じように休みます。夫が寝ているのを見て、夫の分までがんばろうとするのではなく、私も寝てしまう。それでいいと思います。
食事にしても、私が疲れていると言うと夫はよく「それなら外に食べに行こう」と言っていました。美味しいものをしっかり食べたいタイプですから。
だけど私は、わざわざ外に行くのも疲れるし、そうしょっちゅう外で食べているとお金もかかりますから、家で簡単に済ませたいときもあります。
そんなとき、お互いがイヤな想いをしないための折衷案が「駅弁」や「居酒屋メニュー」です。
食べものは、私が好きなのはお米、油揚げ、海藻で、夫は、肉が大好き。今も夫は肉が食べたくなると、仕事場のキッチンでバターをたっぷり使ったステーキを焼いています。肉を食べている姿は本当に幸せそうです。きっと夫の祖先は狩猟民族、私は農耕民族だったのでしょう。
長年夫婦をやっていても、いまだに、この人、こうなんだ、と驚くこともあれば、好みや習慣などはそれぞれのまま。きっとどこの夫婦もそうでしょう。
だけど、お互い疲れやすくなってペースが落ちてきたからこそ、許容しあえるようになっています。
今は、人生100年時代と言われ、70歳、80歳になっても元気なままで、自分でなんでもできると思い込んでいる風潮があります。
だけど私の実感としては、60歳は60歳、70歳は70歳で年相応に衰えます。
40代や50代のころと同じようにはできません。体力もそうですが、記憶力や情報の集め方も、悔しいけれど違ってきたなと感じます。
60歳に対する世間の感覚は、昔はもっと「おばあさん」でした。今はずいぶんと違ってきていますけれど、40代のようなエネルギッシュさや50代のようなフットワークの軽さはありません。誰もそんなことをわざわざ口にしないですけれど。
たとえば、SNSに慣れていれば、料理を食べる前にサッと写真を撮ったりもするでしょうが、私はそれも億劫です(笑)。たまに写真を撮ってアップすると、コメントを付けてくれる人もたくさんいます。うれしいですし、ありがたいので、続けてみようと思うのですが、習慣にするところまではいきません。
同世代でもSNSをこまめにアップする人もいます。それが無理せずできる人もいます。私自身にも負けず嫌いなところはありますから、ときには、落ち込むこともあります。だけどだいたいは私なりのやり方をコツコツ続けていくしかないというところに落ち着きます。
そんな弱気だからいけない、という人もいるかもしれませんが、私の60歳と、誰かの60歳は違うのです。それぞれの年齢の重ね方があります。
私はきっとまた70歳になれば、60歳のときとは全然違う、と感じるでしょう。私は、私なりの感覚に正直に、年相応の生き方をしていこうと思っています。
いつも今のことに精一杯で、先のことをあまり考えていませんでした。お金のことにも無頓着で、生命保険なども、最低限のものにしか入っていません。夫に聞くと、「大丈夫だよ」「3人ともいい子に育てたんだから、誰かに頼ればいい」と言いますが、答えになっていないと思います(笑)。
ときどき、自分が料理ではなく別の仕事をするなら何をしているだろう、と思うことがあります。
スーパーの紀ノ国屋で、バックヤードから商品をもってきて店頭にきれいに並べる、品出しの仕事をするのもいいかなって。そんなふうに考え、ちょっと想像してみることもあります(笑)。私は、市場やスーパーが大好きです。色とりどりの旬の野菜、さっきまで海にいた生きのいい魚、古くから日本人に食べられてきた味噌や梅干しなど、食料がたくさん揃っている宝箱のような場所ですから、そこにいられたら、きっと幸せに違いありません。
商品ですから、そこで食べるわけにはいきませんが、どんな味がするだろう、どんな料理に合うだろうと考えるだけでも楽しい。食材にはきっと普通の人よりは詳しいはずですから、買い物に来た人に、これはこうすると美味しいですよ、とお節介にならない程度に、お伝えしたりするのもいいかもしれない、と思うのです。
出張で地方に行ったとき、80代くらいのおばあさんが、冬にこたつで料理の本を見ながら過ごすのが楽しい、とおっしゃっていました。実際に料理を作るわけではないけれど、見ていると元気が出てきて楽しいと。お話を聞いて私も元気をもらいました。
料理は、自然の恵みを使って、つまり動物や植物の命をいただいて作ります。それぞれの命という個性があるから、作る人は、それをどう生かすかと考えて、料理を作るのです。
その料理を食べて、私たちのからだは作られていきます。そうやって命が巡っています。
私は、40年近く料理の仕事を続けてきました。
食べるのも作るのも研究するのも、もっともっとすごい方はたくさんいます。40代には40代、50代には50代の提案がそれぞれあり、私のような60代には、無理をしないで提案できる等身大の提案をしていきたいと思っています。
皿の中だけで、美味しいとか上手にできないなど小さくまとまらず、動物や植物の命のつながりや自然環境、自分の食べたいものを作ることができるよろこび、また、高齢になって料理を作れなくなったとしても、「今度はこれを食べたい」という食の希望、そんなものを大切にしていきたいと思っています。
年齢を重ねれば、仕事は少しずつコンパクトになっていきます。それは自然なこと。
だから何年も先のことを考えて不安になるより、今できることをこれからもコツコツと続けて重ねていくつもりです。
藤野嘉子(ふじの・よしこ)
学習院女子高等科卒業後、料理家に師事。フリーとなり雑誌、テレビ(NHK「きょうの料理」)、講習会などで料理の指導をする。「誰でも簡単に、家庭で手軽に作れる料理」「自然体で心和む料理」を数多く紹介し、その温かな人柄にファンも多い。
著書に『女の子の好きなお弁当』(文化出版局)、『料理の基本 おいしい和食』(永岡書店)、『一汁一菜でいい!楽シニアごはん』『がんばらなくていい!楽シニアの作りおき』『生き方がラクになる60歳からは「小さくする」暮らし』(以上、講談社)など多数。
夫はフレンチレストラン「カストール&ラボラトリー」のシェフ、藤野賢治氏。