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直近でのドル円レートと日米10年国債金利との関係や、円のネット投機ポジションの動向から判断すると、7月中旬以降の急激な円高局面は終了したように思われます。
ドル円レートについての短期的なリスクとしては、円高リスクが注目されます。特に、今後、景気悪化リスクの高まりなどの事情からFRBが金融市場の想定以上にハト派化する場合には、ドルが他の主要通貨に対して下落し、その過程で円高が進行する可能性が高まります。その場合、日銀による金融引き締め策が先送りになる可能性があります。
中期的なドル円レートの動きをみるうえでは貿易収支が重要です。現在赤字が続いている財の貿易収支、サービスの貿易収支は、どちらも赤字幅が拡大する可能性が高く、その面からは中期的に円安圧力が増すと見込まれます。
ジャクソンホール会議での「政策を調整する時が来た」というパウエルFRB(米連邦準備理事会)議長の発言は、9月FOMC(米連邦公開市場委員会)での利下げを事実上示唆することで、グローバル株式・債券市場のさらなる安定につながっています。ただ、グローバルなドル安の進行により、円がドルに対して上昇したことで、日本株市場にとっては向かい風をもたらしている面もあります。以下では、大幅な円安から急激な円高に転じたドル円レートのこれまでの動きと先行きについて、投機や経常収支の面まで視野に入れて考察したいと思います。
まず、ドル円レートの足元の動きについて考えてみたいと思いますが、日本株市場が暴落した8月5日の翌日以降、直近までの動きを辿ると、ドル円レートはおおむね1ドル=144~148円のレンジ内で推移しており(図表1)、7月中旬以降の急激な円高局面は終了したように思われます。多くの市場関係者が注目するように、ドル円レートは過去において、日米10年国債金利差との相関関係が強く、特に、4月後半までは米国の10年国債金利の上昇に伴う10年国債金利差の拡大に歩調を合わせる形で円安が進行しました。しかし、5月以降は、10年国債金利差が縮小に転じたにもかかわらずドル円レートは円安方向への動きを強めました。この背景には、米国景気の好調が続いたことで、FRBによる高金利政策が比較的長く続くとの期待感が醸成され、それが、円売りトレードの活発化につながった面が強かったと思われます。その結果、日米10年金利差からは説明しにくいほどの円安が進行しました。その後、7月中旬から米国のインフレ懸念が本格的に後退し始めたことで、金融市場におけるFRBの利下げへの期待が急速に高まり、急激な円高方向への動きが生じたと考えられます。
足元では、ドル円レートの水準は日米10年金利差にほぼ見合った水準に落ち着きつつあるようです(図表1)。7月中旬以降に急激な円高が進行したのは、それ以前にデリバティブ市場での巨額の円売りポジションが積み上がっていたことによる面も大きいとみられます(図表2)。FRBの政策についての市場の見方が大きく変化することで7月中旬に円安ポジションを解消する動きが強まり、そのことが強力な円高圧力を招来したと考えられます。しかし、8月初めの時点ではこうしたポジションは既に解消されたようです(図表2)。現在はポジション調整による円高圧力はほぼなくなり、結果として、ドル円レートが比較的安定しやすい局面に入ってきたと思われます。
日本株市場では円高が株価下落材料として強く懸念されていますが、足元での状況を踏まえると、今後、米国の景気後退懸念が強まらない限りは、大幅な円高に振れる可能性は比較的低いと見込まれます。
ドル円レートについての短期的なリスクとしては、円高リスクが円安リスクよりも大きいと考えられます。特に、今後、景気悪化リスクの高まりなどの事情からFRBが金融市場の想定以上にハト派化しする場合には、ドルが他の主要通貨に対して下落し、その過程で円高が進行する可能性が高まります。短期的に円高が進む場合には、その程度にもよりますが、企業による投資活動等が慎重化する可能性も出てくることから、日銀による金融引き締め措置の実施が先送りされることもありえます。日銀の現在の金融政策スタンスは、7月末に公表された展望レポートで示された通り、日銀が想定するような経済・物価の見通しが実現していくなら引き続き政策金利を引き上げる、というものです。この方針は、8月23日の国会閉会中審査における植田日銀総裁の発言でも確認されました。私は、この方針を踏まえて、今年の10月の日銀会合あるいは12月会合で政策金利が現行の25bp(=0.25%)から50bpに引き上げられると予想しています。しかし、円高が大幅に進行する場合には、利上げが延期される可能性が高まります。
国際収支のカテゴリーでみると、対内・対外証券投資の動きや所得収支の動きが短期的な円高要因となる可能性があり、注目されます。新NISAなどを活用した国内個人投資家の海外向け証券投資は今後も順調に増える公算です。これは円安要因であるものの、円安懸念が薄らいだことで、長期的な視点で日本株投資を実施している海外投資家による日本株購入が積極化する可能性や、一部海外投資家による日本企業へのM&Aも相応に増える可能性があり、これらは共に円高要因として作用する可能性があります。所得収支の面では、米ドル債やユーロ債などを日本の投資家が保有する際に得られる利子所得の増加が円高材料として存在感を強めています。欧米での金利上昇がラグをおいて利子の増加につながることによって、四半期ベースの利子所得収支は2022年の2.2兆円、2023年の3.0兆円から、今年の4-6月期には4兆円と大きく増加しました(図表3)。
利子の一部は再投資されるとみられるものの、利子所得収支の黒字は今後も増加する可能性があるでしょう。なお、海外直接投資にかかる再投資収益の収支も改善していますが、これについては、直接投資勘定からの海外投資の増加によって相殺されますので、ドル円レートには中立的です。
ところで、11月5日に実施予定の米大統領。議会選挙の行方もドル円レートに影響する可能性があります。米大統領選挙はトランプ候補とハリス候補による接戦となっており、どちらが勝利するかは現時点では予断を許しません。議会選挙の結果にもよりますが、トランプ候補が勝利する場合には、①2025年に期限を迎える減税法の延長、➁中国などに対する高率関税—などの措置が採られる可能性が高く、財政赤字の拡大やインフレの高まりが意識されて、ドル高円安に振れる公算が大きくなります。ハリス候補が勝利する場合には、その逆の動きが生じるとみられます。大統領選挙が近づくにつれて、どちらの候補が勝利するかについての金融市場の見方によってドル円レートが少なからぬ影響を受けることが予想されます。
ドル円レートの中期的な将来を考える上では、財・サービスを含む貿易収支の行方が重要となります。結論から言えば、現在赤字が続いている財の貿易収支、サービスの貿易収支は、どちらも赤字幅が拡大する可能性が高く、その面からは中期的に円安圧力が増すと見込まれます。
まず、財収支については、原子力発電所が低稼働率のままである中、2010年代半ばから化石燃料などエネルギー価格が上昇トレンドで推移してきたことが、貿易赤字の定着をもたらした一因です。この点については生成AIの活用が世界のエネルギー消費の大幅な拡大につながると見込まれる中、ロシアによるウクライナへの侵攻をはじめとする地政学的な状況を踏まえると、今後も大きな改善は見込みにくいとみられます。価格の変動による輸出・輸入への影響を除いた、数量ベースでの鉱工業についての輸出・輸入の動きをみると、コロナ前と比べて輸出はほぼ横ばい圏で推移しているのに対し、輸入は有意に増加してきました(図表4)。
2021年以降はかなりの円安が進行してきたにもかかわらず、輸出数量が増加していない点は、総じて、日本企業が海外から国内での生産へのシフトを行なってこなかったことを示しています。分野別にみると、輸出においては、機械分野での輸出が緩やかに増加しているのに対し、化学や輸送機器(自動車が中心とみられます)分野の輸出数量は減少傾向でした。輸入については、エレクロニクス、機械、輸送機器分野で大きく増加してきており、産業競争力の低下が示唆されます。今後については、2022年度以降、製造業の設備投資が明確に増加基調である点や、地政学的なリスクの高まりを背景として一部の企業が国内での設備投資を積極化させている点は輸出競争力の低下を抑える効果をもたらすとみられるものの、中国・韓国・台湾などの近隣諸国・地域での近年の設備投資の伸びが概して日本を上回っていることもふまえると、財の貿易収支を中期的には改善させるハードルは高いと予想されます。地球温暖化の影響が世界的に穀物等の収穫量に悪影響を及ぼす可能性が高まる中、多くの食料を輸入に頼る日本が輸入する食料価格が上昇する可能性が高い点も、財の貿易収支を悪化させるリスクがあると思われます。
次に、サービス収支については、過去数年間で、インバウンド旅行者の増加による受け取り増加と、通信・コンピュ-タ・情報サービスや「その他業務サービス」、保険・年金サービスによる支払い増加が明確になってきました(図表5)。後者には、海外の大手IT企業が提供するクラウドサービスの普及やサブスクリプション制の娯楽サービスの増加、再保険料の増加などが反映されているとみられます。サービス収支全体としてはある程度の赤字が続いています。現時点での日本のクラウドサービス事業における外国企業のシェアの高さや、AIサービスの提供を目指して外国の大手IT企業が巨額の設備投資を続けていることなどを考えると、日本による海外へのサービス支払額は中期的に大きく増加していくとみられます。その一方、日本政府が2030年におけるインバウンド旅行客として6000万人の目標を掲げていることもあり、インバウンド旅行客からの受け取り額も増加していくとみられます。しかし、私は、これらの動きを総合的に判断すると、中期的に、サービス収支の赤字が緩やかに拡大する可能性が高いと考えています。
総じて、日本の貿易収支(財・サービスを含む)を巡る環境には不確実性が高いものの、重点的に対策を実施しない限りは、中期的に貿易収支の悪化が続くリスクが大きいと考えられます。
木下 智夫
グローバル・マーケット・ ストラテジスト
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MC2024-110